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  • 執筆者の写真a.t.

【第一章】必死に生きた記憶(2)

彼は誰かに似ている気がする。あの白い部屋の中でずっと一緒に過ごしていたあの子に似ている気がする。

白い部屋?

それは一体どこだったっけ。


=========================


「ぎぎャァァァァァァ!」


突如地鳴りと共に発生した目の前の異常な光景を私たちは隠れてやり過ごす事しか出来ない。いや、この光景は『異常』では無いのかもしれない。あれは私たちを日常的に脅かし続けている存在なのだから。


「かなり…大きいね」


『奴ら』にも個体差がある様で大きさや形も様々だが、今現れたのは以前見たものより大きいような気がする。


「機関の人たちが助けに来てくれるはずだ、音を立てずにじっと留まっているんだ」


リーダーの声に無言で頷き、瓦礫に身を屈めている私たちは声を殺し息を潜める。


「もし…僕らに気が付いたら」


「もしものことは考えんな。そんときは…」


「そんときは俺が…」


「ぎャォォォォオオッ!」


周囲に嘶きが響き渡る。嘶きは私たちの鼓膜をビリビリと揺らし、恐怖を更に掻き立てた。


「じゅるじゅるじゅるじゅる…」


顔と思わしき部位を覆い尽くすほど大きな口から不快な音を発しつつ四足歩行の黒い異形の怪物、『亜空堕(あくうおち)』は辺りを彷徨いている。


(早く、どこかへ行って…!)


私の祈りとは裏腹に亜空堕が進行方向をこちらへ向けた。


「うっ…」


Eが短い呻き声をあげる。


ーーーカラン。


その時、足元から大きくはないが確かに聞こえる音が鳴った。

後ずさったEが落ちていた小石を後ろ蹴にしてしまったのだ。


「あっ…!」


「ぎぎぎ!ぎゃあっ!」


亜空堕が完全にこちらに向き直り口を大きく広げながら私たちの隠れている瓦礫に向かって突進してくる。


「まずい、気づかれた!逃げるぞ!」

「ご、ごめん…!僕のせいで…!」

「んなこと言ってる場合じゃねえだろ!とにかく走れ!」

「う、うん…!」


3人は背負っていたバックパックを放り捨てるとAを先頭に全速力で走り出した。

後ろで大きな破砕音が起きる。

顔だけで振り返ると化け物が私たちの隠れていた瓦礫を体当たりで吹き飛ばしていた。


「スピード自体は早くねえけどあのパワーに近づかれたら一巻の終わりだ!」


「どうすれば…!」


「今は走るしかねえ!それしか、方法は…」


建物を挟んで大きく旋回したりして振り切ろうとするが亜空堕は私たちの後ろを付いて来て離れない。私たちはどうにかアジトへの帰路に入り込み無心で走り続けた。


「ぎャぎャぎャぎャ!」


大人なら逃げきれたかもしれないスピードだったがジリジリと距離を詰められてしまっている。


「このままじゃ、もう…!」


「やっぱ…あれしかねえか…!」


横に並んでいたAが急に進行方向を変えた。


「クソっ!こっちだ!こいよ化け物!」


「そんな!A、何して…!」


「お前らは行け!どっちにしろ全員でアジトに向かったって他の奴らまで巻き込んじまいかねない!」

Aは囮になるつもりだ。私たちを逃がす為、一人でも多く生き残る為に。

Aは黒い怪物の興味を一心に受けるようにわざと大きく手を振ったりして奴の意識を私たちから離れさせようとしている。

幸い今のところ亜空堕は二手に別れた私たちを交互に見て、獲物を決めあぐねているかのように見える。だが私たちが走り出したらきっと近くにいる彼が標的になってしまうはずだ。

私の手足は震えていた。

亜空堕は、人を殺す。命乞いなど通用しない、心を持たない化け物だ。

Aの方に視線を向ける。Aはこちらの視線に気づくと親指を立て気丈に振舞って見せた。


「安心しろ!俺は一番足が早い、それに」


「俺はリーダーだから、大丈夫!」


そう発言すると同時にAは私たちのアジトとは逆に走り出す。黒い怪物は口を大きく開くと私たちに背を向けて、先に動いたAに標的を定め走り始めた。


「待って、A!」


「…!D、ダメだっ…!」


追いかけて走り出そうとした私の腕をEが掴んだ。


「ダメだ…僕達じゃ追いかけても、どうする事も出来ない…」


「だけど、このままじゃAが!」


それでもEは固く掴んだ手を離そうとしなかった。


「Aの覚悟を…無駄にしちゃ、ダメだよ…」


「覚悟…」


Aは私たちを守る為に囮になる決断をした。一人で、立ち向かうことを選んだ。

彼の勇気に報いるならば、私たちだけでも逃げて助かるべきなのだろう。

命を繋ぐべきなのだろう。

それでも、私は…


「やっぱり私、Aを置いては行けない」


「そんな、D…!」


Eの顔がいっそう険しくなる。しかし私は様々な思いを巡らせ出した答えを、胸の内を伝える。


「家族だから…」


「D…」


私の腕を掴んでいたEの手が少し緩んだ。


「大切な家族だから」


Aは私たちと同い歳の子供だ。気丈に振舞って見せてはいたが、いくら男の子であれど、リーダーであれど、きっとあの時、彼だって怯えていたはずなんだ。いつも一人で全部背負いこんでいる彼を、私を救ってくれた彼を、今度は私が救わなきゃいけないんだ。


「で、でも…!」


「Eはアジトに戻って、みんなに伝えて」


もう震えは止まっている。私も覚悟を決めた。


「『私たちは必ず戻ってくるから、待ってて』って」


私はEの手を振り切るとAと亜空堕の向かった方向へ走り出した。


「あ、待って…!待ってよ、駄目だ!D!」


ごめんね、E。

家族を犠牲にして、生き残るなんて絶対に出来ない。

死に向かう感覚と言うのだろうか。絶望に向かって走り出すことがこんなに怖いことだったなんて。

やっぱり、Aは凄いよ。平気な顔していつもヒーローみたいに…

Aに追いついて、何が出来るかは分からないけど。

それでも一人でいるよりずっとマシなハズだ。

彼も私も一人だった。それでも出会って、繋がって、家族になったのにまた彼だけが一人に戻ってしまうのは、嫌だ。


止まればまた震えてしまいそうな手足を、私は必死に動かし続けた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


確かここの道は一本道で、次の角を曲がれば…長い直線、見えた!


少し先に巨躯を動かし地面を揺らす黒い異形の怪物を見つける。


「あれが走り続けているってことはまだAは捕まってないってことだ…」


彼の背中は亜空堕で見えないが確かにあの前を走っている。


「追いつけない!私の足より全然速い…!」


悲観していてもしょうがない。今、私がするべき事は『考えること』だ。

いつしか彼も体力が尽きてしまうだろう。彼が立ち止まり襲われてしまう前に、あの亜空堕をどうにかする方法を考えなければならない。

倒すことはまず不可能。アジトに置いてある『アレ』をもってしてもあんな巨大な亜空堕をどうにか出来るとも思えなかった。

ならば、逃げきる為にどうするかだ。


「あの亜空堕はどうやって私たちを追ってきていた?」


違和感を感じる。

あの時、Aが囮になった時、どうして立ち止まっていたのか。

二手に別れた私たちを交互に見て獲物を選別していた?

しかし頭には顔を覆い尽くすほど大きな口はあったが、眼のようなものは付いていなかった。

交互に私たちを見ていたのではないとしたら。

キョロキョロと顔を動かしていたのは『見失っていた』からだと考えられないだろうか。音を立てずに動かなかった私たちをあの瞬間だけ見失っていた。

最初もそうだった。Eが足元の小石をけってしまった時、


『ーーーカラン。』


それに反応するかのようにこちらに顔を向けてきた。


「あの亜空堕…もしかして『音』を頼りに行動してる…?」


それなら対処の方法はあるはずだ。

じっと立ち止まって居ればやり過ごせるだろうか…?いや、立ち止まっているにも限度がある。亜空堕が一生ウロウロとその場を離れない可能性もある。

そこまで考えた時、前方を走っていた黒い巨躯が突然横へ逸れた。


「ッ、なに!?」


私が前方に目を凝らすとAがさっきのスーパーマーケット跡地の壁の残骸と思わしき物の外周を大きく旋回している。


「あそこであの亜空堕を撒こうと考えてるの…?」


だが、どれだけ走っても走り続けているうちは足音で絶対にバレてしまう。

私はさらにスピードを上げやっとの思いでAの顔が見える程には近づいたが、そこから見えたAの表情は険しく、限界に見えた。

亜空堕はまだ私に気付いて居ない。


「どうにかして亜空堕をAから引き離さないと…」


音を頼りに襲ってくる亜空堕。


「Aがやったように、私が囮になれば…」


違う。そんなことをしてもきっとAが許してくれないだろう。彼は自分だけで逃げようとはせずに最後まで私を助けようとしてしまう。

『何か別のもの』を囮に出来れば…

辺りを見渡すといつの間にか私は先程3人で隠れていた亜空堕に粉々にされた瓦礫の側まで来ていた。傍らには、私たちが投げ捨てたバックパックが落ちている。


「この中に何か…何か使えるものは…」


バックパックに詰め込まれたガラクタをガサガサとまさぐると、色鮮やかな何かが入った袋を見つけた。


「これは…!」


風船。

ゴム製の袋に空気を入れ、膨らませて遊ぶ玩具。昔は安価で手に入る玩具として有名なものだったらしい。

数回見たことがある程度だったがその性質を私は知っている。

膨らませた風船に鋭利なものを突き立てたり、強い衝撃を加えると大きな音を立てて破裂するのだ。


「これを上手く使って…」


風船を新たな囮として使い、その間に大きく距離を稼けば物陰に隠れることが出来るかもしれない。

つまりできるだけ距離をとって破裂させなければならないということ。

この位置に風船を設置して遠方から石を投げて破裂させる?

しかし、それでは命中率に不安がある。成功の可能性は低いか。


「風船自体を飛ばして破裂させられないかな…?」


風船自体を放って落下の衝撃で割る。空中にある間、落下までのタイムラグでAに近づくことも可能だ。

ならば高く放らなければいけない。

取り敢えず私は袋に入っていた真っ赤なゴム袋を一つ掴み息を吹き込んだ。

風船が手の平台になる。

しかし、手に取ると膨らませた風船は軽く、ふわふわとしすぎていて遠方へ投げるのには適していなかった。


「何か、重りを付けられれば…」


あいにく糸や縄のようなものもなく何かを括り付ける事は難しい。

ならば何か中に入れられれば…

小石を入れれば、投げた瞬間に中で跳ね回り破裂してしまうかもしれない。

他に何か無いかと視線を落とすとEが背負っていたバックパックの中にキラキラと光るものを見つけた。


「水…?」


それはEが出発前にアジトから持ってきていたペットボトル入りの水だった。Aは一目散にアジトを出て行ってしまったが、Eは用意周到に私たちの分の水まで持ってきてくれていたようだ。

液体であれば小石のように跳ね回り内側を傷つけることもないはずだ。

時間が無い。上手くいくかは分からないけれど、やってみよう。


(お願い!私たちを助けてね…!)


思いを込めて、口に含んだ水と空気を吐き出す。数度に分けて私は水と空気を風船に送り続けた。

黄緑。『青』と『黄色』を混ぜて出来上がる色の風船を思い切り膨らませ、口をしっかりと縛る。

適度な重さを持った風船を私は両手でしっかりと持った。

これだけ重さがあれば落下時に上手く破裂してくれるはずだ。

私は両手で持った風船を思い切り頭上の空へと投げ飛ばした。

それと同時に全力で走り出しAに向かって叫ぶ。


「A!そこで完全に静止して!」


「D…!?っ…!」


Aは私の存在に気づき少し驚いている様子だったが、私の意図も理解しないまま指示通りにピタリと静止した。

Aは私を信じてくれている。失敗は出来ない。

心配そうな顔で私を救うため今にも走り出しそうなAへ「大丈夫」と視線を送りながら、亜空堕の横をスレスレで走り抜け遂にAと合流する。

亜空堕は横を全速力で通過した獲物を次こそ捕らえようと巨体を振り返らせている。

私は急ブレーキをかけ、たたらを踏みそうになるが辛うじて踏みとどまる。

亜空堕は私たち目掛けて走り込んで来る。


ーーーぎぎぎ!ぎゃあああッ!!


祈るようにぎゅっと目を瞑る。そして


パシャーン!


水を入れていた為か控えめな音だったが遠方で先程投げた黄緑の丸が弾けた。

眼前まで迫ってきていた亜空堕の動きがピタリと止まり、進行方向が私が走ってきた方向へとシフトする。


ーーーぎぎぎ…


亜空堕が私たちを視界から外し、完全に背を向けた。Aと私は少しづつ音を立てないよう後退していく。音のする方向へ向かった亜空堕は私たちが動いていることに気づいていない。

このまま背後にある廃ビルに身を潜めることが出来れば…


ーーーぎぎ?ぎぎあああ…


しかし風船の落ちた場所半ばまで進んでいた亜空堕の動きが急に遅くなる。


うそ、どうして…!


音はほとんど立てて居ないはずだが私たちの動きに気づいているかのように足取りが重くなっていく。

遂に亜空堕は歩みを止め、閉じた口を大きく開き直すと振り向いて私たちの方向へとゆっくりと進み始めた。


「クソッ…気づいてやがんのか…?アイツ」


「そんな…」


これ以上は何も出来ない。万策尽きてしまった。


「こんな所で…」


固く拳を握り俯いているAが何かを呟いた。


「こんな所で終わってたまるか」

「A…」

「俺は、どんだけ不条理な世界だろうと生き抜いてやるって決めてんだ」



「俺が、新しい世界を見せてやる」



Aは傍に落ちていた小石を握ると一度念じるようにゆっくりと目を閉じる。

そしてその小石を亜空堕へ向かって放り投げた。

小さな石ごとき投げた所であの化け物を止められる筈がない。そんなことAだって分かっている筈なのに。それなのに、迷いなど一切ないその一投に私は何かを託してしまった。


二人分の願いを背負って飛んで行った小石は、亜空堕の上空を通り越した。


Aは亜空堕に向かって石を投げた訳ではなかった。

投げた先はバックパックの落ちているあの場所。

小石は放物線を描くように飛んで行き、その付近の地面に落ちていた私が最初に膨らませた『真っ赤な風船』にピンポイントで着弾した!


パァン!


今度の水の入っていない風船は高らかな音と共に破裂した。


ーーーぎゃああああ!!!


亜空堕がまた身体を180度回転させ今度こそ明確にそちらへ走り始める。


「行くぞ、D」


「う、うん…!」


私たちは亜空堕と大きく距離を離し、なんとかバレずに背後にある廃ビルに身を潜めることに成功した。






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