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執筆者の写真a.t.

【第一章】生誕祭(4)

あの日。Bのピストルによる一撃で吹き飛ばされ、隊員たちにトドメを刺された亜空堕(あくうおち)の亡骸を、Aが誰よりも長く、静かに見下ろしていたのを私は覚えている。


事情聴取が終わって、機関の隊員達と別れた直後の事だ。

並んで歩いていたAが急に立ち止まり後ろを振り返ると、しばらくの間一点を見つめて立ち竦んでいた。

背後にあったのは、トドメを刺され今度こそ完全に静止した亜空堕の亡骸だ。

そして、すぐ隣を歩く私ですら微かに聞きとれるかどうか程度の掠れた声がAの口から漏れた。


「あの亜空堕(あくうおち)、今一瞬…」


あの時の亜空堕を見つめるAの瞳には、少しの恐怖と、

そしてどこか、期待の色が滲んでいたように思える。


「どうしたの?」


無言で亜空堕を眺めていたAは何かに取り憑かれたように目を見開いて硬直していたが、私に声を掛けられ、心配そうな面持ちの他のメンバーの顔を見て我に返り、その何かを振り払うようにブンブンと首を振った。


「…いや、気のせいだ。何でもないよ」


些細なやり取りだった。

ただ、あの時にはもう始まっていたのかも知れない。


私の祈りを受け、

石ころを投げて状況を切り抜けた彼も。

仲間を守るためピストルを放った彼も。

私というこの運命の元凶を何度も救った彼女も。


そして、彼に全てを託した私も。


今となっては、確かめることも出来ないが、ただ『真実』を知ってしまったから、ストンと腑に落ちた。


いつか彼が、彼のような人間(ヒト)と出会う日があるとしたら。

せめてその人間(ヒト)には、彼の持つ正解(こたえ)が「正しい」と証明する、そんな正解を持っていて欲しいと思った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「やっぱり今回もこれだけか」


俺、『A』とその仲間たちは配給地点近くの裏路地に集合していた。

荒くれ者グループと配給隊員との一件の後、暫くして俺たちは離れた所にある追加支給品受け取り列に向かった。

しかし、前回と同様に今回も申請したような贅沢品を受け取ることは出来なかった。


「そろそろ隊員達も撤収の為に慌ただしくなってくる。動くとしたら今しかないと思う…」


段々と人が減ってきたという配給列を確認しに行っていたEが小走りで戻ってきた。

そして全員が集合した事を皮切りにリーダーである俺が、今から始まる作戦についての話を切り出す。


「よし、ここから先は全員別行動で、怪しい場所で何か動きが無いかくまなく監視するぞ。各自監視するエリアは朝の作戦会議の通りだからな」


Bが手首に視線を落とし、使い込んでボロボロになった腕時計を確認する。


「いつもは大体午後6時半には撤収が完了し、輸送車が出る。今から2時間ちょいだ」


各々が自身の装着している腕時計を見る。

俺たちの持つこの時計も追加支給品として手に入れたものだった。第四区画の為に大量生産されたであろう安っぽい造りの、動いているだけマシと言うような代物だ。よく時間がズレる為、度々公園などに設置されている時計を見ながら直している。

それでも、追加支給品をまともに受け取ることが出来ない最近では、こんな物ですら手に入れるのは難しいのでは無いだろうか。

丁度時間の話題が出たところで、最後に俺はここからの動きをメンバーと共に再確認する。


「全員30分毎に怪しい動きが無かった場合ここに戻ってきて報告してくれ。その時戻ってこない奴がいた場合、ここに集合したメンバーでそいつの監視エリアに向かう。全員が戻ってきた場合はまた30分間巡回、これを繰り返すって感じだ」


朝の会議で選定した各々の巡回ルートの最終確認も終わり、俺が行動開始の合図を出そうと言う所で、隣のDが心配そうな笑みを浮かべ俯きがちに告げた。


「みんな、もし怪しい現場に出くわしても無理だけはしないでね…少なくとも1人になる時間がある訳だから…」


Dが放った弱々しいその一言は、閑静な路地に立つ俺たちの耳によく届いた。

きっと先程の機関の隊員達との一件で、不安にさせてしまったのだろう。

彼女にとっては、仲間が自分の為に危険を犯そうとしている場面。

昨日俺を助けに来た時のように、無鉄砲に行動してしまう一面がある程仲間思いの、もしかしたら俺以上に皆のことを気にかけてくれている彼女の事だ。

俺が誕生会の開催を提案した時は嬉しいと言ってくれたものの、やはり本心では後ろめたさがあるようだった。


ただ、だからこそ。

そんな風に考えてくれる彼女の為だからこそ、俺たちの気持ちは変わらない。


他のメンバーの顔を見ると、全員が気合いに満ちた視線を返してくる。

俺はDを安心させるため、力強く頷き返した。


「あぁ。危なくなったら逃げること。何かが起きていたとしても、他のメンバーの到着を待つこと。これは絶対、な」


メンバー全員がこれに応じ、


そして16時30分。俺たちは走り出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「異常なしだ!」


「異常はなし、と」


「異常なーし!」


「異常はなかったよ」


「異常なし…」


作戦開始から1時間30分。

もう3回目になる集合にて、俺たち5人による前回、前々回の集合と同様の報告が路地に木霊する。


「次で最後になりそうだな…」


時刻は18時。配給地点での撤収作業も大詰めと言った様子だった。


「ホントに怪しい事してる人達なんているのかなぁ?」


「分からない。だけどまだ無いと決まった訳じゃないからな。引き続き警戒していこう」


もう慣れてきた巡回ルートを走り回り、


そして30分後。


日もだいぶ落ちてきた、18時30分、4回目の集合と報告。


「また異常なしだ!」


「異常はなかったな」


「異常なしだよー!」


「うん、異常なし」


といつもの報告が流れた。

と、思ったのだが。

…報告が一人足りない。

Eが戻ってきていなかった。


「なにかあったみたいだな…」


そろそろ隊員たちも作業を終えている頃だ。つまり撤収完了後、隊員たちが第四区画に滞在する時間ギリギリで収穫があったという事になる。


「よし、Eの監視していたエリアに向かおう。出来るだけ急いで、目立たないように」


俺が駆け足で移動し始めると、その後ろを他のメンバーが追随ついづいする。

俺達は足音を抑えつつ、素早くEの巡回ルートを辿った。

慎重なEに関して、身の危険がある様な場所に潜伏するとは考えにくい。

物陰にも視線を配りながら進み、そして暫く進んだ辺りで路地の脇に立つ建物の塀に身を隠しているEを発見する。


「居た…!無事だったかE…!」


Eがこちらに気づいて目配せしてくる。大きく回り込むように近づき、連なる形で全員がEの横に並び、塀の隙間から向こうを覗き込んだ。


「みんな…あれを見て」


Eの言う方向に見えるのは配給地点があった大通りとは違い、あまり目立たない通りだ。しかし、そこには配給地点に止まっていたはずの車両が一台移動してきていた。


「なにか始まりそうだね…!」


「配給待ちの人間が完全に居なくなるこのタイミングで動いたか」


待つことおよそ5分。

俺たちの目が大通りに繋がる別の路地から出て来た数人の男を捉える。


「来た…明らかに機関の隊員じゃ無さそうだな」


「ああ。俺たちと同じ第四の住人だ」


その男たちの一人が何かが入ったケースを持っており、車両に近づくとそれを前に掲げて見せた。


すると、車両のドアが開く。


「車から誰か出てきた…ってアイツは!」


そこから出てきたのは勿論機関の隊員、それも先程一悶着あった配給少女の親である高圧的な女性隊員だった。


「あの隊員、箱の中身を確認してる…ここからじゃよく見えないけど…十字架?みたいなモノと、もう一つ何かが入ってる…それにしても十字架なんて何に使うんだろう…」


「第四区画でも、この生活に辛くなった人達が宗教にハマっちゃうって話は聞いたことあるし、あの機関の人たちもそうなのかな…?」


神妙な面持ちで箱の中身を推理するEとDの横で、


「あたし知ってるアレ闇取引ってやつだ!」


「偉そうな事言ってたくせに、結局自分達はコソコソとやましい事をしてるんじゃないか…!」


とC、Bも各々の所感を述べていた。

含みのある嫌な笑みを浮かべる隊員と男たちの感じからするに、悪事を働いているのは間違いなさそうだ。

そして男たちが数個のケースを渡し終えた所で、遂に俺たちは『お目当ての物』をその目で捉えた。


「あっ…!あのでっかい箱って…!」


トラックの荷台の奥から引きずり出し、ケースと引き換えに隊員が男たちへ受け渡している巨大な箱。

その箱というのが、いつも配給の際カウンターの奥に置かれている、追加支給品をまとめて保管する為のキャスター付きのボックスだ。

どうやら噂は本当のようだった。


「くそっ、どうする、飛び出すか…!?」


「ま、待ってB、相手は機関の人間…時空能力者かも知れないし…もしも能力を使って抵抗されたら僕たちに勝ち目は無いよ…っ」


先程散々な物言いでこちらを責め立ててきた女性隊員が悪事を働いているのを見て、抑えきれ無くなり飛び出そうとするBをEが慌てて制止していた。

先の一件では、最後の一触即発の場面で、冷静に俺たちを連れてその場を後にする判断をしたBだったが、内心は俺たち同様に憤りを感じていたに違いない。

彼らしくもないその様子をCとDが心配そうに見ており、その視線に気づいたBは短く息を吐き、昂る感情を鎮めていた。

皆がこれ以上感情を乱されないよう、俺は早急に答えを出す。


「ああしてコソコソとやっている以上、隊員もあの取引が公になるのはまずいと思ってるってことだ。やましい事をしている自覚があるなら向こうは大きくは出られない」


見る限り、男たちの方も武器の類は装備していない。数回に及ぶ犯行により完全に油断しているようだった。


「よーし、じゃあやっぱり突撃だね!」


「結局、そうなるな。あの重い箱ならある程度のスピードで押しても倒れる事は無いだろう。数人でアイツらの足止めをしつつ、状況を見て誰かが箱を押して全力でこの場を離脱する」


俺のその結論に、両拳を握りやる気の姿勢を見せるC。

しかし、そんな彼女とは対照的な、俯きがちに話を静観していた少年、Eが顔を上げた。


「確かに…バレたらまずいってあの隊員の人も思ってるのかも知れないけど…」


長い前髪の間から見えた瞳は、怯えているようではあったが、同時に何かを伝える決意を宿しているように思えた。

Eは、ついに誰もが言い渋っていたその『可能性』を口にする。


「でも、もしあの隊員が口封じの為に…いっそ僕たちをみんな殺しちゃえばってなったら…?」


彼の発言に全員が俯き、考え込む。

考えうる中で最悪の可能性。だが、全くありえない話では無い。


いくらここが管理区画の中で最も荒廃してる土地の第四区画とは言え、殺人行為は禁止されている。

しかし機関側の人間が関わっているとなれば話は変わってくるかも知れない。


この第四区画では、住人が急に居なくなるケースも少なくない。

住人は管理カードを作る際に情報を機関に登録するのだが、あの隊員が住民データをイジれてしまう様な事があった場合、俺たちのデータを抹消し、失踪扱いにすることだって可能なはずだ。

俺たち数人が不自然に居なくなったところで、さほど問題視されない可能性が高い。

この区画に住むという事は、そういうことだ。


全員が勢いに任せて行動に移そうとしていたが、やはりEのように冷静に考えると、仲間を危険に晒す訳には行かないとも思ってしまう。

少しの沈黙を得て、メンバーの内最も早く顔を上げたのは先程怒りに震えていたBだった。


「…もし、あの隊員が時空能力を使って、本気で向かってくるなら、俺が対処する」


俺たちにそう言い放ったBの表情にはもう怒りの色は無く、代わりに自信に満ちた笑みが浮かべられていた。


「飛び出すお前らの後方から俺が支援する。この銃(ピストル)があれば能力を発動される前に相手の姿勢を崩すことぐらいは可能だろ」


こういう大事な時、必ず持ち直す彼の胆力には感心の念を抱く。その自信が伝染したのか、不思議と俺の中からも恐怖が消え去った。


「わかった、それで行こう。俺は全員を信用してる。絶対にあの箱、持ち帰ろう!」


B、C、D、そして最後にEも渋々ではあったものの、これを了承する。


深呼吸をし息を整え、気合も入れたところで、俺は合図を出し、それに合わせてメンバー達は一気に物陰から飛び出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「確かに受け取ったわ」


そのケースを受け取り中身を確認する女の隊員は、恍惚とした笑みを浮かべ『十字架のような見た目の何か』ともうひとつの内容物を眺めていた。


先刻まで冷ややかなオーラを醸し出していた彼女が人が変わったように恍惚とした笑みを浮かべており、男たちも流石に興味を唆られた。男の一人が隊員に問いかける。


「なぁ、機関の隊員さんよォ。結局そいつはなんなんだ?」


「…貴方たちが知る必要は無いわ」


彼女は話しかけられた途端急激に表情から笑みが消えていき、元の無愛想な表情まで戻ると、その男を冷たくあしらった。

別に男はその隊員と仲良くなれそうだと思ったことは一度も無い。それでも少しの信頼関係程度なら築けていると思っていた。

が、こいつはハナから第四区画の人間のことなんざ、自分の都合のいい様に動く傀儡程度としか思っちゃいない様だ。


「フン、毎度運ばせといてそれかよ」


男は聞いた俺が馬鹿だったと、鼻を鳴らした。

まあいい、


「こいつさえ手に入りゃどうでもいいぜ」


「それじゃ、貴方達の望み通り報酬は渡した訳だし。この辺で失礼…」


隊員が車に乗り込もうとした、その時だった。


唐突に多数の足音、控えめなそれは大人のものとは違う、


「...ッ!?なんだこの子供(ガキ)共は!?」


見上げると既に機関の車の屋根ルーフの部分を踏みつけ、大ジャンプをかました金髪の少年が眼前に降り掛かっていた。


「っ…どりゃあああああ!」


「ぐおおおわああ!?」


多角的に展開していた子供の集団が一斉に男に襲いかかる。


「何しやがる、やめろクソッ!」


少年が顔面に取り付いてきてバランスを崩し、尻もちを着いた男が、咄嗟に女隊員に助けを求めようと目を向ける。

しかし、隊員は吃驚の表情を浮かべた後、慌ててその顔を手で覆い隠し、男を無視してそのまま車に乗り込んだ。


「てめっ、待て!助けてくんねえのかよ!」


「とっ、とと、取引は終わったはずよ!あとは貴方で何とかなさい!」


大事になり、取引が機関にバレることを恐れたのか隊員はさっさと車のエンジンを掛けて行ってしまった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


俺たちが男たちに襲いかかるさなか、チラと女性隊員の顔を見ると、昼間の件を思い出したのか明らかに「まずい」という表情になりサッと両手で顔を隠し、いそいそと車のドアを開けて中に入っていった。

あの感じならこのまま隊員は車に乗って離脱するだろう。Eの言っていた『最悪』の事態には発展しなさそうだ。

だがこの男たちがいる以上、まだ安心はできない。


Aは車の屋根を駆け上がり、自身の背丈より高い支給品箱を飛び越え上空を通過する際、中身を確認する。一瞬だが中にはお菓子などの食料が入っているのが確認できた。

そのままの勢いで箱の前方に居た男の顔面に取り付いて、叫ぶ。


「よし…っ!みんな!中身は追加支給品で確定だ!これ持って逃げるぞ!」


「なっ…!させるかよこのクソガキィッ!」


Aは顔面に取り付かれバランスを崩して倒れた男から飛び退き、支給品の箱を思い切り突き飛ばした。Aに押された箱は中々のスピードで走り出す。

その走路上に男の一人が立ちはだかるが、ガーッと言う走行音を立てながら猛進してくる巨大な箱を前に思わず尻もちを付いて退いてしまう。


「何ビビってやがる!受け止めて奪い返せ!」


「だ、だってよお!意外とあの箱デカいし重いし、あんなスピードで突っ込まれたら、轢かれちまうだろうがよぉ!」


そして箱は少しずつスピードを落とし一人の少年の近くまで流れ着いた。

俺はその少年、『E』に向かって叫ぶ。


「E、箱を頼む!そいつを押しながらアジトまで走れッ!」


「くっ…!」


俺の思い切り突き飛ばした箱を、先回りして受け止めたEが、アジトのある方向へ向かって押しながら直進していく。


「あ、このォ!待ちやがっ…」


パァン!


Eを捕まえんと男の一人が走り出すと同時に甲高い破砕音が木霊した。


「危ねぇ!なんだ!?」


男の足元に、Bが時空銃ピストルを打ち込んで足止めをしたのだ。Bに続き残された俺達は男の前に立ちはだかり、告げる。


「お前らの相手は、俺たちだ!」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「はぁ…っ!はぁ…」


僕、Eは皆から託された自分の背丈にも及ぶ巨大な箱を押しながら全力で走っていた。

幸い箱には手押しできる取手ハンドルが付いており、それで何とか行く先を制御出来るかと言った感じだった。

振り向くと遠くに、Aたちの妨害から抜け出した男の一人がこちらへ迫って来ているのが見える。

中々の重さであり、子供の僕一人ではスピードを出して押し続けるにも限界がある。

このまま箱を押しながらじゃいずれ追いつかれてしまうだろう。


「このままじゃ、追いつかれちゃう…!」


段々と疲れが脚に来ていたEだったが、不意にハンドルが軽くなるのを感じる。


「なっ、なんだ!?さっきまでに比べてやけに軽い…いや、そうか!この先は!」


Eと箱の足取りを軽くしたのは、地形だった。

ここから先は緩やかな下り坂になっており、今までの様に思い切り押す必要はなくなる。

これならまだ、追っ手の男を振り切るチャンスはあるか。


そう思った矢先、箱がガツン!という衝撃音と共に大きく跳ねた。


「うわぁあ!?」


僕はなんとか暴れる箱の体勢を立て直したものの、とある事に気づいてしまう。

それは、この周辺の建物は劣化と損壊が酷く、足元にはその建物の残骸である瓦礫が飛び散っており、ガタついて移動しにくくなっているという事だ。


「ある程度ブレーキをかけながらじゃないと、万一また瓦礫に引っかかった時、その反動ですっ飛んで横転する…!」


しかし、ブレーキをかければ無論減速し追手に追いつかれてしまう。


一体どうすれば…。


パキッ。


ふと、近くに気配を感じた。コンクリートの破片が踏まれて割れたような音。

その気配は、箱を押して走る僕の隣からだ。


『…こっ…こっちだっ…!』


不意にその方向から声が響いた。かなり若い声の感じから察するに歳は自分とそう変わらないであろう少年の声。声のする方向には元々建物だった物の残骸、大きなコンクリートの塊があり、どうやらその向こうからの声のようだ。

声の主の姿は見えないが、僕はその声に驚きながらも、言われるがままに咄嗟にハンドルを切っていた。


僕と箱は大きな瓦礫と瓦礫の隙間をスレスレで通過した。


少し振り向いて確認すると、僕が通った隙間は箱がギリギリ通る幅、かつ地面も比較的綺麗でスピードを保ったまま箱を走らせる事が出来た。

瓦礫の向こうに居ると思っていた声の主は更に別の瓦礫の向こうに移動しており、依然として姿は見えない。

正体不明の声は、更に続ける。


『ぼっ…僕のガイドにそって…そっ…操縦するんだっ!アイツを足止めしながら走ることが出来る!』


冷静になって周囲を見渡せば、瓦礫には大人の男でも易々とは乗り越えられそうに無い物も多く存在していた。

追手の男は僕が先程通過した隙間を見逃し、通り過ぎてしまったのか、たまたまその先を塞ぐように鎮座していた大きな瓦礫に行く手を阻まれ足止めを食らっている。


『僕はねっ…詳しいんだっ…!この辺っ!次の大きな三角形の瓦礫を右に行って、そのまま前方の…』


僕は坂で加速する追加支給品ボックスを蛇行させ瓦礫の隙間を指示通りに次々とすり抜ける。

後を追う男は大きな瓦礫の破片や新たに倒壊する建物に翻弄され上手く僕の所まで辿り着けない。

その勢いのまま段々と距離を離していく。


「あのっ、君は一体…」

『あいつらはもう君はどうでもいいと言ったが、僕はそうは思わないっ!』


僕の質問を半ば遮るように放たれたその言葉の意味は理解出来なかった。

正体不明な声は、僕の話なんてお構い無しに続ける。


『この先を曲がると瓦礫の下に大きなくぼみがある場所に着くっ。そこで静かにやり過ごすんだ!』


一心不乱に箱を操縦し、その指定の場所に着くと、箱を瓦礫の影になっている所に隠し、一息吐く。

先程通ってきた道から少し逸れた所にある、瓦礫が絶妙な具合で積み重なって作られたドーム。

確かにここなら道に沿って来るであろう男は気付かず通り過ぎて行くだろう。

そしてこのドームの中にも一枚の大きな壁があり、その向こうから見知らぬ少年の声が聞こえてくる。


『安心してっ…崩れはしないからっ…僕はねっ…詳しいんだっ…!この辺っ!あいつらはもう君はどうでもいいと言ったが、僕はそうは思わないっ!』


先程から、違和感のような、モヤモヤした感覚が付き纏っていた。

助けて貰った身分でこんなことを言うのも何だが、さっきも聞いた同じような言葉を繰り返したり、過剰に焦ったような口調で話す彼に僕は少しだけ、恐怖というか、気持ち悪さのようなものを感じてしまっていた。

僕のように、おどおどしてドモっているのとはまた違う何か。

自分の中の得体の知れない感情をかき消すように、もう一度彼に喋りかけた。


「君は…君は一体誰なの…?!なんで僕を助けてくれるの…!?」


『これからの君は君だが、今までの君は君じゃないっ!』


「ちょ、質問に答えて…」


『本質を見誤るなっ!』


「ほ、本質って…それってどういう…?」


『これ以上は無理だっ!僕でも介入出来るのはここまでなんだっ!』


そこまで言うと壁の向こうからバキッと瓦礫を強く踏みつける音が聞こえて、僕は彼がこの場を去ろうと一歩踏み出した事を悟る。慌てて裏へ回り込もうとするが、足元に散らばっていた石に足を取られつまづいてしまった。僕は倒れたまま叫ぶ。


「ちょ、ちょっとまってよ!」


『大丈夫っ!僕はこの辺詳しいんだっ!』


Eはようやく立ち上がり、その瓦礫の壁の裏を見ると、もはやそこに人の気配は無かった。


「誰…だったんだろう…」


地面には確かに、今しがた彼によって踏み砕かれたであろうコンクリートの破片が散らばっていた。


誰かが、今まで、間違いなく、ここに居たんだ。







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